広島市佐伯区(五日市)、廿日市市の賃貸、不動産(売買)は島根不動産TOP > ブログ > カープ観戦記 オフシーズン 【カープファンの作り方】
2012年11月 3日 16:46
日本シリーズも佳境に入ってきた今日この頃、世紀の大誤審と新聞紙面上に記事が踊った第5戦をボケ~っと見ていたときでした。
上の娘はまだ5歳なのですが、こんな質問をされました。
「お父さんは、なんでそんなにカープと野球が好きなん?」
そう質問されたとき、「そう言えばこんなにカープとか野球とかに熱中し始めたのはいつごろだっただろうか?」っと、しみじみと考え始めました。
そう考えたとき、はっきりと覚えているのは、昭和59年のカープが優勝し、日本シリーズで当時の阪急ブレーブス(今のオリックスバッファローズ)と対戦した頃から熱中し始めたように思います。
当時、私は8歳で小学校2年生だったかと思います。
佐伯区の三筋という地区に住んでおりました。その頃は今のようにインターネットもなく、TVゲームなどもあまり普及しておらず、近所の幼なじみと野球をしたりサッカーをしたりとアグレッシブに遊んでいました。当時、カープの優勝がもうそろそろ決まろうかとペナントレースも佳境に入っていました。そんなとき、近所に住んでいた幼なじみのお父さんが彦寿司という寿司屋を営んでいたのですが、そんなところに当時のスーパースターの山本浩二選手と池谷公二郎投手(今は、広島テレビのコメンテーターや解説者)がやってきて、近所が大騒ぎになったことを覚えています。
どこからともなく、「カープの山本浩二が来たぞ~!」っと声がすると、私も幼なじみの寿司屋に行きました。
もちろん、当時の山本浩二は広島の人なら誰でも知ってはいたのですが、私はそれまでは山本浩二の名前だけは知っていてもそこまでカープのことは知りませんでした。
しかし、その当時幼なじみと店の裏に潜み、寿司屋の障子の隙間から山本浩二を見たとき、スターのオーラというか何とも言えないトキメキが走りました。もちろんサインも頂きました。
その後、家で優勝争い中のカープの試合をテレビで見ていたとき、山本浩二はホームランを打ったりと大活躍でした。
当時、私の父と母が「彦寿司の寿司を食べたけぇ、打ったんかのぉ」などと、訳の分からないこじつけをしていたのを覚えています。
しかし、目の前で見た人がテレビの中で大活躍していることだけで、カープが気になり始めました。
そして、家ではカープ試合中継がある日は、ほぼ毎日見ていたので、ある意味洗脳に近いものでした。
そして、優勝が決まった試合で、当時子供だった私は、大の大人が優勝して喜んではしゃいでいることに興奮と感動の気持ちが生まれました。
そのころから、カープに対し一喜一憂するようになりました。
私のまわりに家族を含め、カープファンが多いのも、広島にカープファンが多数占めるのもいろいろと環境は違えどそのようなきっかけが多数あるからだと思います。
それにしても、当時のカープが強くてなつかしい・・・。野手では山本浩二、衣笠祥雄、山崎隆三、高橋慶彦、アイルランド、投手では、山根、川端 順、北別府、高木、川口など名選手がゴロゴロいます。
私の娘たちも、カープの試合は今は興味がないかもしれませんが、そのうち私に洗脳されるでしょう。(しかし、現在のTVのチャンネル権は娘にあります。なんとか、このチャンネル権を奪還しようと思います)
そして、また1人、2人とカープファンが作られていくことでしょう。
さて、そんな昭和59年の少年時代を懐かしく思い返したのですが、そんな時代に建築された物件を1件ご紹介しましょう。
それが、こちら!!
↓ ↓ ↓ (クリック!!)
安佐南店から徒歩4分のこちらの物件は、私がカープに熱中し始めた昭和59年から更に4年さかのぼった
昭和55年に建てられました。当時私は、4歳と今の娘より小さな幼児です。
そのころ建設されたマンションですが、築後30年以上の割にマンションオーナー様が綺麗にリフォームして
おりますので、年数をあまり感じさせられません。バスも改装されたユニットバス。流しもキッチンパネルなど
改装済み!!シャワートイレも付いてます。
お家賃もリーズナブルに設定!!
気になる方は、上の物件名をクリック!!
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